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青春18きっぷで行く京都鉄道博物館訪問記8

いよいよ扇形庫の中を見学します。右側から順に紹介していきます。


右:C51形は国産設計の機関車としては初めてパシフィック形軸配置を採用しています。牽引力・高速性能・信頼性において高い水準を達成したとの事。完全な状態で保存されているのは2両のみだそうです。
左:C53形は国産唯一の3シリンダー型の機関車です。木造客車から鋼製客車に置き換わる際に、編成重量増大に対処するために設計・開発されたものです。残念ながら構造が複雑で整備担当からは嫌われ、戦時中は酷使されて整備不良が続発し、早々に離脱した機関車も多かったそうです。京都鉄博の45号機は現存する唯一のC53形です。


右:問題点を抱えていたC53に代わる機関車として製造されたのがC59形です。設計・製造上の問題点はあったものの、登場当初から優等列車の先頭に立ち大活躍して現場からの信頼も厚いものだったそうです。
左:D51形より出力の高い機関車として、東海道・山陽本線での1200トン列車けん引を目的に製造されたのがD52形です。戦時中に設計・運用された車両故に工作・整備不良でボイラ爆発など重大事故を起こし、廃車や他形式への改造などが行われました。


右:第一次世界大戦に伴う貨物需要増大を受けて製造されたのがD50形です。従来の貨物列車けん引機であった9600形に比べてボイラー性能の飛躍的向上や出力増大を実現しました。特に急勾配や重量列車の牽引など過酷な使用条件であったエリアでは、後継機のD51の配備を拒否して本形式を使い続けるなど厚い信頼を伺わせます。目立つ存在ではなかったものの、日本の蒸気機関車の歴史に名を刻む重要な存在であったそうです。
左:ローカル線向けの客貨兼用機関車として製造されたのがC58形です。安定して扱いやすい機関車であったのか、お召列車けん引機としての抜擢も多かったそうです。現在はJR東日本と秩父鉄道で動態保存されています。当館ではお召列車けん引時を想定した姿で保存されています。


右:C54での失敗を教訓に設計されたのがC55形です。製造数は62両と少ないものの、先代の失敗を生かして様々な点で改善が図られており、各地で長期間にわたり重用されました。国内のみならず台湾へも進出して活躍し、当地で現在も保存されているそうです。
左:貨物用機関車の余剰に対して旅客用機関車が不足していたので、D52形のボイラーを転用して製造されたのがC62形です。ただし信頼性の低かったD52のボイラーは問題があったのか後に新製ボイラーに換装されています。優等列車を中心に華々しい大活躍で多くのファンの人気を集めていました。日本の蒸気機関車の中で最大のサイズを誇り、圧倒的な存在感も人気の一つです。


右:戦時中に製造された超小型機関車がB20形です。国鉄蒸気機関車としては異色の存在で、構内での入換作業を目的に製造されました。戦時設計なので性能は高くなく使用目的が極端に限られたので早々に廃車されてしまいました。運が良いことに当館では動態復元されてマスコット的存在となっています。
左:鉄道に詳しくない方でもデゴイチという言葉は耳にした事があるでしょう。1115両という圧倒的な製造両数で蒸気機関車の代名詞的存在となったD51形です。しかし設計上の問題で上り坂で空転しやすく、一部機関区では受け取り拒否に近い対応を受け、現場での評判は必ずとも良いわけでは無かったようです。


マスコットのような可愛らしさのB20形を横から見てみます。左右に水タンクを抱えて、運転室後方に小さく石炭が積めるようになっています。B20形は自機のみブレーキがかけられるようになっていて、編成全体にかけるブレーキはありません。構内での運用に割り切った構造になっています。


明治時代に製造された6200形を改造したのが1070形です。当館で収蔵している蒸気機関車では最古のものになります。地方の専用鉄道で鉱石運搬に従事していたそうです。


右:日本初の本格的な国産貨物列車用蒸気機関車が9600形です。高出力の割に軸重が軽いため日本全国で活躍しました。キューロクの愛称で呼ばれています。
左:ローカル線での運転や入換作業用として製造された小型軽量な機関車がC11形です。全国で活躍して保存車も静態・動態問わず多数存在しています。新橋駅前に保存されていることでも有名ですね。


扇形庫の左側は現役の蒸気機関車の修繕施設として現役です。当日はC56形160号機がメンテナンスを受けていました。小型機関車のC12形をモデルに製造されたもので、閑散線区で活躍したそうです。


扇形庫向かいの露天部分には手前に8620形が、奥にはC61形が止まっています。8620形は日本初の量産タイプの旅客用蒸気機関車です。「絶対に空転しない機関車」として勾配線区での運用や入換作業などで大活躍したそうです。ハチロクの愛称で親しまれていて、PCゲーム「まいてつ」では擬人化キャラクターとして登場しています。
C61形は当時余剰となっていたD51のボイラーを流用して製造されたものです。33両と少数派なうえに活躍の場が大都市から離れていたために地味な存在であったものの、現在でも2両が動態保存されています。


扇形庫内部にある販売機で記念メダルが販売されています。少々値は張りますが全種類購入しました。大満足で京都鉄博を後にして、最終日に備えます。


最終日は馬堀にある郵便局を訪問してから、18きっぷ利用でひたすら北上します。山陰本線は221系で独占されていて、車両レベルは高いのですが非常に混雑していました。始発なので何とか着席して移動出来ました。


駅から10分ほど歩いて亀岡篠局に到着です。局員氏にこれから18きっぷで神奈川に帰る旨伝えると「静岡県を超えるのが辛いんですよね」などと仰られて18きっぷに詳しいようでした。


京都かに戻ってからはひたすら普通列車で北上です。大垣では313系の0番台に遭遇しました。車内学用の資料を収集できて満足です。その後も順調に北上を続けますが、浜松発熱海行で沼津まで移動するのが一番辛かったです。寝ても覚めても静岡県…。やはり高速バスにすれば良かったと後悔したりしながら何とか横須賀に帰着。身も心もボロボロになりましたが、京都鉄博での充実の時間が一番の思い出です。

今回の旅行では久々の長距離移動ということで体力の衰えを実感した旅行となりました。次回以降はもう少し体調と相談しながら無理のない行程にしたいと思います。

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