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鉄道博物館に行ってきた6

181系は先代の151系・161系より主電動機の強化、抑速ブレーキの設置で勾配線区への対応を行った形式です。さらに耐寒耐雪構造にもなっています。しかし晩年は耐寒耐雪構造が経年劣化などで役に立たず故障が多発したそうです。そして後継の183系に置き換えられました。


機関車ファンなら知らぬ者はいない名機EF58です。この車両は改良型と呼ばれており、それぞれに個体差が見られるのもファンの心を掴む理由の一つで、この89号機は大きなひさしが特徴になっています。重厚な足回りと流線型の車体のギャップが堪りません。


冷房装置の採用など設備の優秀さから走るホテルとも呼ばれた20系客車です。流線型の最後尾が特徴的ですね。全国の夜行列車に投入されて好評を得ましたが、のちに登場した客車は2段寝台を装備するなど設備面で見劣りするようになったため、わずか20年弱でメインの特急運用から撤退。その後は急行列車や臨時列車などで細々と活躍しました。比較的短命な車両ではありましたが、鉄道の歴史に残したものは非常に大きいです。


マネキンと見比べると寝台の幅が非常に狭いのが分かります。昼行時は中段を畳んでいたようです。この寝台セットの作業に多くの人手を要しており、作業に当たる人を列車ボーイと呼んでいたそうです。


数々の新機軸を導入して国鉄初の新性能電車として登場したのが101系です。首都圏の通勤輸送に大活躍したものの問題が無かったわけでは無く、変電所の能力に対する消費電力の多さが問題となりました。変電所への負荷を減らすには電動車を減らす必要があるのですが、そうすると残された電動車への負担が大幅に増える事になり、さらに所定の能力を出すことも出来なくなりました。これらの問題はのちの103系製造に生かされることになります。


車内は冷房が無いので天井が高いですね。扇風機が標準装備になったのも101系が初だそうです。よく見ると中づり広告を掲出する金具が見当たりません。この時代は中づり広告というものが無かったのでしょうか?ドア付近には吊革が設けられていません。現代の通勤車とは異なる点も見えてきます。


国旗を誇らしく掲揚しているのはC51蒸気機関車です。D51と違いあまり聞き慣れないかもしれませんが、289両も製造されていて機関車としての性能も高く、現場からの評判も良好だったそうです。


東北上越新幹線用として製造された200系新幹線です。0系とよく似ていますが、車体の材料をはじめあらゆる部分で差異が見られます。車体床下へ雪が付着するのを防ぐために床下全体を覆うボディマウント構造を採用していて、その重量増に対応するべく車体はアルミ合金で造られています。この展示車両は連結器を出していますが、これは後年の改造でつばさ号と併結運転を行うためのものです。


リニューアルしたのか車内は0系よりも100系に似ていますね。国鉄らしさが少なく感じます。


かつて秋葉原の交通博物館に展示されていた0系新幹線も移設展示されています。やはり新幹線と言えばこの形ですよね。運転席に入ることも出来ますよ。


すぐ近くに展示されていたのは、東海道新幹線開業当時の小型印が押印された封筒です。当時の歓迎ぶりが伺えます。


と言うわけで6回に渡って鉄道博物館を紹介してみましたが、館内全体が暗くてもう少しハッキリ車輌を見たいというのが正直な気持ちです。写真を撮ろうとして後ろに下がったら他の展示物にぶつかるなど広さに余裕がないなどの問題点も。この点はリニア鉄道館を見学した身としては物足りなさを感じたところです。今後新館が建設されるようで、これからの鉄道博物館の更なる発展に期待したいです。

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