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碓氷峠鉄道文化むら訪問記1

北陸新幹線開通で廃止となった横川運転所の跡地にオープンした碓氷峠鉄道文化むらに行ってきました。2回目の訪問でしたが、今回はゆっくり館内を見て回ります。毎度おなじみ18きっぷを使って地元の横須賀から横須賀線→湘南新宿ライン→高崎線と乗り継いで横川に到着です。


最初にお出迎えしてくれるのは新幹線用軌道確認車GA-100です。新幹線の保守作業後に線路の安全を確認するための車両で、支障物を検知すると自動的に緊急停止するセンサーがあるそうです。新津の資料館にも展示されていましたね。


続いては信越本線の特急列車として活躍していた189系です。先代の181系は機関車との協調運転が出来ずに横軽間はぶら下がっているだけでした。そのため編成重量の関係で8両編成に制限されていました。そこで協調運転に対応した形式として製造されたのが189系になります。電車の動力も使って運転できるようになるので、編成を12両に増結して輸送力向上に貢献しました。横軽間廃止後は183系などと一緒に他線区で活躍しました。


車内は簡易リクライニングシートになっていました。背面テーブルも無く不便だったことでしょう。部品盗難事件があったためか運転室には立ち入れませんでした。


公式サイトには掲載されていませんが、こちらは元車掌車のヨ3500形です。動態復元されたED42機関車は600ボルトにしか対応しておらず、1500ボルト電化区間を走ることが出来ません。そこでこのヨ3961車内に変圧器を搭載して、降圧を行った電力を供給するという対応で動態復元を行いました。現在は両者とも静態保存となり、ヨ3961車内は元の内装に復元されたそうです。


内装を復元と言ってもここまで綺麗なのは不自然ですね。申し訳程度にストーブが設置されています。


機関庫の中には碓氷峠の主役であるEF63形が保存されていました。碓氷峠専用の補助機関車として製造されて、峠越え列車をサポートしてきました。日本屈指の急勾配に対応すべく発電ブレーキや電磁吸着ブレーキなどの安全対策が施されています。見た目はEF65などの国鉄型ELに似ていますが、運転室の窓がパノラミックウィンドウではなく平面ガラスの組み合わせになっている点が異なります。また前頭部には大型の列車無線用アンテナが装備されています。


こちらが横川方の運転台になります。上り列車ではここからの操作で慎重に峠を下っていきました。安全上の観点から必ず2両重連で運用されていたそうです。上り客車列車の場合は[客車][EF62][EF63][EF63]という機関車3重連になります。


碓氷峠を通過する機関車牽引列車は全てEF62によって牽引されました。EF63が横川~軽井沢間専属での運用なのに対して、EF62は碓氷峠を挟んで前後の区間でも本務機として運用されました。ただし碓氷峠を単独では走行出来ないので必ずEF63の助けが必要です。EF63とは違い運転室の窓はパノラミックウィンドウになっています。こちらも碓氷峠専用無線アンテナが装備されています。かなり長いですね。


ED42形は碓氷峠区間がアプト式だった時代に運用されていた車両です。特徴的なのは集電方式で、駅構内では架線からの集電となるので通常のパンタグラフを使用し、アプト式区間では第三軌条からの集電となるので集電靴を使用するという二種類の方式を使用する珍しい形態となっています。


アプト式の要となるピニオンギアです。地上側のラックレールと噛み合わせて急勾配を上ります。


特に説明はありませんでしたが保線用モーターカーかと思われます。ED42を屋外で展示するための移動に使われるのかもしれません。

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